嵯峨祭 of 剣鉾のホームページ

嵯峨祭は昔の京都三大祭!

嵯峨の福祉 第80号抜粋
文章は、中院町 古川 修 さん

00050018.JPG 今年も嵯峨祭が、盛大に執り行われ、天候にも恵まれて、無事終わりました。来年は、御輿の大修理も完了しますので、綺麗な御輿で一層盛大に執行できそうです。
 ところで、先日、同志社大学名誉教授で考古学者であり、野々宮神社の宮司懸野さんの恩師であります森 浩一先生が、『京都の歴史を足元からさぐる』を出版されましたので、ご紹介いたします。
 この本は、先生のご専門の考古学と歴史に関する深い洞察とが渾然一体となった、嵯峨の住民にとって特に意義のある本だと思います。この本の中で先生は、「神仏協力の嵯峨祭」という見出しで、次のように書かれています。「唐突な用だが、歴史の古さでは京都の三大祭といえば、賀茂社の葵祭、祇園社の祇園祭、それと嵯峨祭だとぼくは考えるようになった。」と書かれているからです。
 こう言うと松尾さんや伏見稲荷さんからクレームが付きそうですが、先生のご趣旨は、
一、祭神が、愛宕神社と野々宮神社という朝廷に縁の深い二つの神社であり、これは珍しいと同時に、祭の格式を非常に高くしている。それは、御輿の形にも表れている。(愛宕御輿は高御座型の八角形で、二重勾欄を廻らせている。
 なお、江戸時代まで嵯峨祭の主役である稚児は、黒袍(黒の上着)を着ていた。これは朝廷のかんいで四位以上の人が着るものです。
 ところが、祇園祭など大祭の稚児でも、それより位の低い五位の人は赤袍(赤い上着)であった。黒袍稚児の出る祭は、他に松尾祭だけであったという。
二、大覚寺、清涼寺といういずれも朝廷と縁の深い二寺が、歴史的に大きな役割を担ってきた。
 明治以前の神仏協力の時代の日本を象徴的に表し、それが現代まで脈々と伝えられていることは実にすばらしい。ということで大変ありがたいお言葉です。皆さんも是非ご一読ください。嵯峨の歴史についての理解が一層深くなると思います。

2010年デビュー予定!

中学生が頑張ります

ベテラン勢は、もう貯金(技とかパワー)を使いきってしまったんでしょうか。
練習ビデオを見る限り、足が弱ってきてますね。来年に向けて少しはトレーニングをしないと!

写真は、去年から練習に参加した中学生2人です。naka君(左)は、調子が悪かった時はなんで
上手いことならんかったんかな?と悩むくらい真剣でした。
daimo君(右)は、祭の最後で重さ35キロの本鉾を2回差して拍手喝采でした。

勅使門にて般若心経を読経

SANY0035.JPG写真をクリックすると拡大表示されます


DSC02185.JPG写真をクリックすると拡大表示されます2009年 嵯峨祭Video    


昼からのスタートは大覚寺前から。飯食って目の皮たるんで
ぼぉ~としてるせいか鉾差しには、あぶない場所です。


SANY0028.JPG写真をクリックすると拡大表示されます2009年 嵯峨祭Video    


初めて見た。鉾の2人差し上げ!
2人でする方が 楽なんでしょうか。2人の息がピッタリ
合っていなければできない技か・・・。
               撮影場所は、角倉町・嵐山です。


DSC00339-1.jpg写真をクリックすると拡大表示されます2009年 嵯峨祭Video    


あぶない場所二つ目の渡月橋「さくら餅」あたり。
見物人が多いと力が入りすぎる。
ちゃうちゃう。風がきついから!


DSC00362-1.jpg写真をクリックすると拡大表示されます2009年 嵯峨祭Video    


鉾を最後に差してくれるのは、naoさん。
いつまでも現役の鉾差しでいてほしい。


ページの先頭へ